全てを「愛」に捧げたなら
いつか作ろうと思ってたけど夜中の2時に思い立ってついに開設してしまった。
2015年11月18日、シアターシャイニング第一作目BLOODY SHADOWSが公開されました。公開おめでとうございます!
【BLOG】『BLOODY SHADOWS』のブログを更新しました。https://t.co/3u2x5svhXL pic.twitter.com/jq9XeD7AYD
— シアターシャイニング公式 (@THEATER_SHINING) November 18, 2015
今回の映画公開を記念してシャイニングアイドルたちも1日限定でツイッターを再開してくれましたね。サイコーです。ROCKです。ありがとううたプリ。
今後どう使っていくかはわかりませんが今回は「BLOODY SHADOWS」の個人的考察を書いていきます。
※ここからBLOODY SHADOWS本編・特典のネタバレを含みます※
さてわたしがいつものようにプリライのことで大暴れしていたとき、フォロワーのムツ屋ちゃん(@628rh628)(以下:むっちゃん)から「ブラシャみた.......???」とLINEがきました。
わたしはBLOODY SHADOWSを観た時、正直驚きました。
誰も救われねぇ!!!!!!村長の息子がバンパイアになってこの後みんなどうすんの!!!!???
なんて悲しい話なんだと。公開前からフラグはビンビンでしたがここまで悲しいとは・・・。
観てない方もいらっしゃると思っていたので口をつぐんでいましたがむっちゃんと討論していくうちに、BLOODY SHADOWSは究極の愛の物語なのでは、と思うようになりました。
そこでこの記事では
- 登場人物について
- ウォーレン、マサフェリーそれぞれの「愛」について
- BLOODY SHADOWS ラストシーン
- まとめ
- おまけ
以上の流れで、本編や特典の台本をもとにBLOODY SHADOWSを考えていきたいと思います。
まず各登場人物の簡単なおさらいから。
★貴族の娘
吸血鬼の生贄として選ばれてしまった「トランダフィル家の娘」
彼女は村長の息子、マサフェリーとの結婚式をひかえていた。
台本にも聖川様が書き込んでおられましたが、「トランダフィル」とはルーマニア語で「薔薇」という意味。
ルーマニアは数々の吸血鬼伝説を生んだとされている。ちなみにトランダフィールは本当にルーマニアで苗字として使われているそう。
★マサフェリー・アルバストゥル
村長の息子。以前からトランダフィル家の娘に好意を抱いている。真面目で穏やか。
アルバストゥルはルーマニア語で「青」という意味。ルーマニアの国旗で青は「空」を意味します。
友人がほとんどいない男(自称)で、孤独だった自分の相談相手になってくれ外の世界のこともたくさん教えてくれたウォーレンを親友だと思っている。
★ウォーレン ・Obuolys (読めない)
バンパイア。トランダフィル家の娘を愛している。
Obuolysはリトアニア語で「林檎」という意味。アイレスより若く、まだ人間に近い方だと思われる。アイレスとは圧倒的な上下関係があり、彼には逆らえない。
★アイレス・カルディア
バンパイア。カルディアは古代ギリシアの都市。更にギリシャ語で「心」という意味。
バンパイアになってからずいぶんと時間がたっているせいかめっちゃ強い。
バンパイアが一般的に苦手とするもの(十字架、聖水等)は効かない。
ウォーレンに固執している。
不治の病の恋人を助けるため悪魔と契約しバンパイアとなった。
と、このような感じです。
ここまで書いていて思いましたがこれめっちゃ長くなりそう・・・・お付き合いいただけると幸いです・・・。
さてここからはウォーレン、マサフェリーの2人の登場人物にスポットを当てて、それぞれの思う「愛」について考えていこうと思います。
まずはウォーレンからいきます。
映画のポスターで、ウォーレンは林檎をかじっています。知っての通り林檎は「禁断の果実」です。北欧神話では「神の不老不死の源」とされています。
そんな林檎、バンパイアとどんな関係があるのか。【吸血鬼 林檎】で検索してもなにもでてこない!!!!!!!!!!小説が出て来てしまう!!!!!!!
発狂しそうになりましたが、なんと林檎はバラ科なんだそう。
ここで思い出してください。
吸血鬼の生贄として選ばれてしまった「トランダフィル家の娘」、トランダフィールは薔薇という意味だったことを。
つまり、ウォーレンが手に持つ林檎は彼が焦がれている娘を指していると考えられます。
ではなぜ、「薔薇」ではなく「バラ科の林檎」を持っているのか?
実は薔薇はバンパイアの弱点なんです。
薔薇の花は悪の眷属の肌を焼き、香は魔物を退ける。ルーマニアとトランシルヴァニアでは、死体の上に野薔薇をひと枝置くことで、吸血鬼の誕生を防いだ。墓の上に置くと、吸血鬼の行動を防ぐ事が出来る。
バンパイアは薔薇に触れることができないんです。
この手に抱くことは出来なくても、愛した彼女が笑顔で幸せでいてくれればいい。
自分が幸せにできなくてもいい。笑顔の彼女を遠くから見ているだけでいい。
そんなウォーレンの思いを表しているのがあの林檎なのではないでしょうか。
そしてこのバンパイアは薔薇に触れることができない(ウォーレンと娘は結ばれる事がない)ということは冒頭のウォーレンの台詞、そして生贄の塔でも見ることができます。
冒頭ウォーレンは娘のことを「天使」「光」「希望」と表現しています。どれも闇に生きるバンパイアとは真逆のものです。
娘の唇を「バラのような唇」と表現しています。
そして生贄の塔で、バンパイアの弱点が全然効かないアイレスは娘にべたべた触りまくります。
一方ウォーレンは姿を見せないどころか話すこともしない。姿を見せても「娘を見つめる」だけ。
決して触れない、ストイックに。
娘に対し「本当に愚かだ。」と言い放つシーンもありますが、あの台詞はすべて自分に言い聞かせていたのでは、と考えます。
自分と彼女が結ばれることがなくても、マサフェリーが彼女を幸せにしてくれる。
彼女が幸せならそれで良いと思ったのに村のために愛をあっさり諦めて捨てようとするマサフェリーが許せなかった。
以上から
「何を失ってでも大切な人が笑顔でいられるようにすること」がウォーレンの愛だと考えました。
アイレスは愛するもののため闇に身を染めましたが、彼の愛はウォーレンに近いもののように感じます。
自分と似ているウォーレン。だからアイレスはウォーレンに執着していたのかもしれません。
次はマサフェリーです。
自分が大変な状況でも周囲の人を気遣い笑顔にさせているトランダフィルの娘をみて「自分が彼女を笑顔にしたい」と感じるようになった。
そこには、彼女が大切に思う村のみんなを笑顔にするということも含まれていたのではないでしょうか。自分、彼女、村人、誰が欠けてもいけません。
そしてマサフェリーは友人がほとんどいない男(自称)で、孤独だった自分の相談相手になってくれ外の世界のこともたくさん教えてくれたウォーレンを親友だと思っています。
友達がほとんどいない人間にとって相談にのってくれて知らないことを教えてくれる存在がどれだけ大切か!!!!!!!!!
ましてその友人が自分と同じ女性を愛し、自分たちのために身を引いたのだと知ったときのマサフェリーはどんな気持ちだったんでしょう。
彼にとってウォーレンは婚約者と同じくらい大切な存在だったに違いありません。
冒頭、ドレスの試着をした婚約者に「当日は天使のような美しさだろう」と声をかけるシーンで体には触れないと書き込まれています。
バンパイアが薔薇に触れられないこと、光とは対の存在にあることを考えるとこの時点でマサフェリーの運命は決まっていたのかもしれません。
二人を守るためにマサフェリーが出した結論は「自分が犠牲になる」というものでした。
しかしこれは悲観的な意味ではなく「こんな悲劇を二度と引き起こさないため」「愛する人を守るため」です。
更に言うと「バンパイアと人が共に生きることができる道を探すため」です。
内向的なマサフェリーがこう思えるようになり、決断できたのは「周囲の人間を思いやる」トランダフィルの娘との出会い、そして「大切な人を思う」ウォーレンの強い思いを知ったからではないでしょうか。
婚約者と別れるとき、彼女からのお願いで「手を握る」のです。
彼女の笑顔と共に、忘れることのないように。
バンパイアになってしまったら、もう薔薇に触れることはできなくなるから。
以上から
「全てを守る道を選ぶこと」がマサフェリーの愛だと感じました。
彼女も、親友も、村も、闇に生きるしか術のない存在も、 更には未来までも。
アイレスは自分が叶えられなかった希望を叶えようとするマサフェリーに希望を見いだし、彼の申し出を受け入れたのかもしれません。
さて、ラストシーンです。
期間限定のツイッターでもアイドルたちが言及していましたが、ラストシーンは本当に印象的でした。
話のラストを皆がどう感じたのかが気になるな。劇場でも話題に上がったが、人によって意見が別れるようだ。もし作品を観たら、俺に教えてくれ。
— 聖川 真斗 (@Masato_H_SH) November 18, 2015
まるで結婚式のようなラストシーン。
マサフェリーは愛のため闇に全てを捧げる決意をしました。それは「愛する人を守ることを誓い契約する」という意味では「結婚」によく似ていると考えます。
マサフェリーが不死のバンパイアになることによって文字通り「永遠の愛」が実現します。
トランダフィルの娘はその場にいませんでしたが、マサフェリーが「永遠の愛を誓って、それを守る契約をした」ことを考えると、ラストシーンはマサフェリーとトランダフィルの娘の結婚式だったのではないでしょうか。
「何を失ってでも大切な人が笑顔でいられるようにした」アイレスとウォーレン、そして「全てを守るためイバラの道を選んだ」マサフェリー。
3人はそれぞれの思う「愛」を貫きました。
一見誰も救われない悲しい物語に感じられますが、3人は「人を心から愛した」そして「すべてを投げ打ってでも守りたい愛に出会えた」。
それはとても、この上なく幸せなことだと思います。
愛の形は違えど、3人には上記の共通点があります。
どんな形であれ、お別れは辛いものだよね。それを何度も経験するなんて耐えられない。そんな風にこの作品に出会うまで思ってた。
— 神宮寺 レン (@Ren_J_SH) November 18, 2015
でもそれほど深く愛せる存在があるってことは奇跡で、とても尊いことなんだと知った。そう、それはオレと……応援してくれているみんなとの関係にとても似ている。
— 神宮寺 レン (@Ren_J_SH) November 18, 2015
マサフェリー、ウォーレン、アイレス。3人が貫いた「愛」、そしてあのラストシーン。
BLOODY SHADOWSは「心から人を愛せることは素晴らしい奇跡だということ」を描いた物語だと感じました。
BLOODY SHADOWSは究極の愛の物語なんです。
だからきっと、マサフェリーを演じた聖川様、そして藍さんはラストシーンを気に入っているのではないかと思います。
神宮寺レンはウォーレンに思い入れがあるようなので、複雑な心境なんでしょうね。
まとめです。長かった・・・。
わたしは、BLOODY SHADOWSは悲しい物語ではなく「奇跡のような愛を貫いた究極の愛の物語」だと考えます。「別れることがつらい」と感じられるほどの存在に出会えたというのはとても幸福なこと。「心から人を愛せることは素晴らしい奇跡だということ」
映画は、これを伝えたかったんじゃないかな。と思います。
シアターシャイニング、一作目からこのクオリティです。今後の作品も楽しみですね。
最後になりますが、主題歌について少し。
ウォーレン役の神宮寺レンが企画の最後にツイートしたこちら。
オレはこの幸せな痛みと共に、みんなと過ごしていきたい。ずっとどこまでもね。全てを愛に捧げよう。
— 神宮寺 レン (@Ren_J_SH) November 18, 2015
主題歌である「BLOODY SHADOWS」にあてはめて「すべてを愛に捧げたなら、愛を守れるのか?」とすると、またいろんなことを考えさせられるなぁと思います。
そして、シャイニング事務所のアイドル3人が演じる登場人物それぞれの名前を考えると、皆「求めるもの」が名前になっているなあと思いました。
マサフェリーは「空」
ウォーレンは「林檎」
アイレスは「心」
マサフェリーの「空」は主題歌のなかでもそれが顕著で、冒頭は「雲間のムーンライト」とあるのに対しラストでは「薄れる空」とあります。
主題歌はまさに映画そのものですね。この歌に映画のすべてが込められていると思いました。
長くなりましたがここまで個人的で勝手な考察を読んでいただきありがとうございました。こんな捉え方もあるんだなあくらいに思ってもらえると幸いです。
うたプリ最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!